飯塚浩氏のご紹介
永遠の図書室に収められている本のほとんどが、元陸軍大尉である飯塚浩氏の遺した資料。
陸軍をメインに様々な蔵書や、氏本人が書いた手記などが公開されています。
こちらではたくさんの本を収集し、戦後も戦争について思考し続けた飯塚氏について紹介しております。
飯塚浩(1923-2017)略歴
(旧姓:黒川浩)
大正12年(1923)0歳
東京都本郷区の医者の家に生まれる。
昭和2年(1927)4歳
東京女子師範学校付属幼稚園入学
昭和6年(1931)8歳
東京女子師範学校付属小学校入学
昭和7年(1932)9歳
父逝去。
同年9月、東京を離れ、千葉へ。九重尋常高等小学校入学。
昭和11年(1936)13歳
千葉県立安房中学校入学
昭和14年(1939)16歳
陸軍予科士官学校入校(市ヶ谷台、第5期生)
昭和16年(1941)18歳
陸軍予科士官学校卒業式。士官候補生となる。
同年、台湾第6部隊附に。8月15日、陸軍士官学校(第56期生)入校。
(※軍事教育の主観)
昭和17年(1942)19歳
陸軍士官学校卒業。工兵第48連隊附となる。
昭和18年(1943)20歳
1月~3月、陸軍工兵学校入校
4月1日、チモール島へ。
5月17日 陸軍少尉となる。
6月 第三中隊附となる
9月 暗号研修を行う
10月 下士官候補者隊教官となる
※この時期の兵隊の生活についての記録はこちらから
→「兵隊の衣食住・上」(衣類・食事について)
「兵隊の衣食住・下」(住まい・病気・当番兵・変遷)
昭和19年(1944)21歳
陸軍中尉となる
昭和20年(1945)22歳
第16軍司令部参謀部附となる。ジャカルタへ飛ぶ。
6月1日 陸軍大尉となる。ジャワ転進。
7月末 ジャワ島にて橋破壊計画。
その最中、8月15日の終戦を迎える。
9月末 武装解除および復員に取り掛かる。
10月中旬 武装解除式
11月上旬 捕虜収容所にて労働
昭和21年(1946)23歳
4月中旬 ガラン島へ移動
5月29日 内地へ帰還
昭和23年(1948)25歳
3月、学士試験に合格
昭和24年(1949)26歳
ご結婚される。飯塚姓となる。
昭和28年(1951)28歳
飯塚薬局、有限会社となる
平成15年(2003)79歳
飯塚薬局、「創部薬品飯塚営業所」となる。飯塚氏、第一線を退く。
平成29年(2017)93歳
永眠